11.2019

2019-11-10

映画感想『ターミネーター:ニュー・フェイト』


ひさしぶりに映画館に足を運んでみてきました。
期待のジェームズキャメロン制作のターミネーター続編。
ネタバレで感想書きますので注意です。


見終わった後に抱いた感情。
「救われた」
本当にこのシリーズの最新作が、この作品でよかった、続きを見られてよかったと強烈に心動かされました。


映画、創作物などに多大な影響を与えただろう 1,2 に続き、バッドエンドからの展開が気になる3、2,3 では語られなかったその後の戦いを描く4、SF の面から新しい話を紡ぐジェニシス (以後 5 と呼びます)。
正直なところ 3 は後継作がよければアリ、4 は今一つ、5 はないわ…というのが見終わった後の私の評価で、後続作は 1,2 に負けてるよなぁなんとかしてくれよ…という気持ちでした。
そう思う観客の気持ちを汲み取り、本作ニュー・フェイトは (興行的な側面からの理由にしろ) 「1,2 の正当な続編」と銘打って 3,4,5 作目を捨ててかかっています。
しかしそれにも関わらず、サラ・コナーと T-800 の話から、ダニエラとグレースの二人に世界の命運の鍵を継がせることで、過去作品が存在しえない未来ではなく「許せる」展開であるという懐の深さを見せてくれました。

そして、本作の主人公はダニエラですが、1,2 を見たファンにとっての主人公はサラ・コナーに他なりません。
本作はサラ・コナーの戦いは 2 で終わってはいなかったという部分から始まりますがこれは、昨今の SF 作品の強靭さ・見慣れた読者観客からは「2 のターミネーターが一度敗れただけで終わるような軟弱な未来の AI はあり得ない」という、私たちの創造力が多様な創作物の増加・時代の変化とともに過去よりも強まり広まってきた部分を、見事に汲み取ってくれた流れであり、喜ばしく受け止めています。

未来の兵器の驚くべき力 (3での遠隔操作、武器の強力さなど) は、現代で多様な娯楽作品を楽しみ Alexa や Google に日常的に呼びかける私たちにとっては何かしら他作品で見たコトや経験あるものであったり、現代技術から想像の及ぶ範囲であったりと、ある意味食傷気味を通り越して平時化してしまった部分だといえると思うのです。

今はコンピューターの発展の恩恵をソフトウェア・ハードウェア面で十分に受けてみな生きており、技術格差の衝撃がある 1,2 のときとは情勢が異なります。
小手先の技術と演出などではもう、2 を超えることはできなかったはずです。

格闘アクション、カーアクション、未来が向かうその行く末に関しても同様です。
(ちょっと面喰いましたが) 作中でのジョンを殺害した T-800 が人間のように自立して暮らそうと考え出すアイディアのリアリティや、アクションシーンの兵器の新規性などからは特別な印象は全然感じ取れませんでした。 (見る人から見ると凝った作りになっていて感銘を受ける部分があったのかもしれません)

しかし鑑賞中にはアクションシーンやそこで使用される兵器のアイディアが現代では考えうるものだとか、メイン3人が女性なのは何か意味があるのだろうかなんて無粋なツッコミや考察を入れ、気にするような余裕はまったくありませんでした。
なぜなら、作中で T-800 がある言葉を発してしまうからです。

「私はスカイネットから解放されたのだ」

そのセリフによって、サラ・コナーの戦いが報われた・終わった (そして始まった) のだと、目覚めさせてくれた衝撃が大きく強すぎたのですから。

この言葉こそが、まさに本作が "1,2 を正統に越えていった" という表現をするに相応しい、本当によくぞこの作品を作ってくれたと思わされる真髄だと感じています。

そしてこの瞬間、キャメロンに捨てられた 3,4,5 の作品も救済され、同時に未来へと永遠に続くターミネーターと人類とのあらゆる闘いの可能性すら許容されてしまうのですから。


3,4,5 はアイディア・新規性の試行、演出的な新しさなどありはするものの、話としてどこか一歩観客から遠ざかった部分があって、好きになれませんでした。
それが、ニューフェイトを見てわかりました。
私が求めていたものは、サラ・コナーの物語の続きだと。 新しい次元を見せてほしかったのだと。
1,2 からすでにサラが主人公であるのに、未来の行く末や技術革新、SFとしての話のあり方に、ターミネーターというシリーズが振り回されうまくその続編を作れていなかった、どうしてその部分に気づいてあげられなかったのだろうと、見終わった今となっては不思議に思うほどの感想すら抱きます。
作中冒頭から絶望の底に佇むサラとターミネーターの続編に裏切り続けられた私たちがリンクしているなど、そういう映画外の背景のマッチなども、今でないとできないと感じます。
きっと二作のあまりの強大さに、その作中の針の穴を通すような偶然とでもいえるような成功の結末を、些細な誤差の一つとしてしまうようなシナリオは誰もたどることはできなかったのでしょう。
それだけに冒頭のあのシーンの結果は、シリーズファンの心に深く突き刺さります。

今後、ターミネーターのさらなる続編が作られ、良作もあれば駄作もあるかもしれませんが、ニュー・フェイトのおかげで、それらの存在の可能性は示唆され赦されることとなったのです。


過去作を見ずに今作から見始めた方にとっては、ターミネーター第一作と同じような内容で、劇中の技術なども大して驚きはない作品かもしれません。 作品自体も名が知られていてあらすじを知っていて見た方もいるでしょうし、未来の兵器もタイムトラベル的な話の展開も手垢がついてすでに一般的な範疇だと思います。
(先にもいったように私が感じ取れていないイケてるポイントは数あるはずです。 目標達成後の AI の行動パターンから見える未来の自立機械の思考だとか、エドワード・ファーロングをぶっ殺した暗喩がーみたいな考察はあとで楽しみましょうw)


期待に達しない続編も多い中、しかし、1,2 で世に SF 作品の衝撃を届け、その続編で賛否両論なシリーズが公開され、機械技術が発展してみなが恩恵を受け一般化した今だからこそ世に放つことができる、できてしまった、この新しく紡がれた『ターミネーター:ニュー・フェイト』。
そこに激しく心を揺さぶられたのだなぁと私は確信しています。

上映中はサラの心中を思ってぽろぽろ涙こぼしながら見てしまいました。
本当に良い映画でした。 ありがとう。